十五.
不思議な眺めだった。
白い階段だけが、どこまでもどこまでも、らせんを描いて続いていた。
リマたちが立っているのは、切り立った山の中腹に開いた小さな洞窟で、階段はそこから始まっていた。
「ここが永遠の回廊か。」
リマは上を見上げてつぶやいた。
「よかったですね。ここまでたどり着きました。」
ティリオンが言った。
「でも、ゴルはかわいそうだった。ゴルの分まで、がんばらなくちゃ。」
「さあ、もう一息です。行きましょう。」
みんなは、おそるおそる階段を昇り始めた。
階段は果てしなかった。景色は変わらず、どこまで昇ったのか、どれだけ昇ったのか、まったくわからなかった。
疲れ切った足を無理に持ちあげて、それでもリマたちは昇り続けた。
「ティリオンさんよ、ここをすうっと飛んで行く事はできねえだか?」
「だめなんです。わたしだって、そう出来ればとっくにしています。」
ティリオンの言葉を聞いて、ズナゴムはがっくりと肩を落とした。
ズナゴムが、眠気と疲れで、ほとんど意識がなくなりかけた時だった。
足元を歩いていたデモが叫んだ。
「扉だ。でっかい扉がある!」
宙に浮かぶ階段の上の方、かすむくらいのかなたに、大きな白い扉があり、階段は終っていた。
「もう少しだ。みんながんばって。」
リマの声を最後に、みんなは黙々と足を動かした。
目は扉を見つめ、それ以外のものは、まったく頭の中から消えてしまっていた。
扉だけがそこにあった。
後ろは何もない空で、階段の終りにただ、扉だけが立っていた。
リマは扉に手をかけた。白い扉は音もなく開き、何とも言えないいい香りが、流れるようにあふれ出てきた。
「よくきた。」
そこは大きな広間だった。
正面には大きな椅子が二つあり、両側には少し小さな椅子がならんでいた。
正面の椅子には、左側が長く波うった白いひげの老人、右側には銀色の髪を結いあげて、細い冠をかぶった老婦人が座っていた。
左右の少し小さな椅子では、さまざまな年の、品のよい男女が思い思いに話を交わしていた。
「旅の者よ、よくきたな。」
正面の老人が、もう一度言った。
「星々の宮殿へ、ようこそ。」
優しい声で、老婦人が付け加えた。
「星々の司さま・・・。」
リマは立ち上がると、おじぎをしようとして、そのまま倒れ込んでしまった。
リマが目覚めると、真っ白な天井が見えた。
起き上がって横を見ると、隣のベットにデモとモム、そのむこうにズナゴムがいた。
足元には、クッションがうずたかく積まれ、埋もれるようにしてティリオンが眠っていた。
リマはそっとベットから降り、外に出た。
そこは長い廊下になっており、扉はつきあたりに一つあるだけで、後は真っ白な壁だった。
窓はどこにもなかったが、柔らかな光が、壁からにじみだすように、リマを包み込んでいた。
廊下をゆっくり歩くと、リマはつきあたりの扉を開けた。
「お目覚めですか。疲れはとれましたか?」
そこは広間で、リマが来た時と同じように、また、老婦人が声をかけた。
「はい。ありがとうございました。」
「よくぞ、ここまでたどり着いた。その小さな身で、がんばったな。」
今度は、白いひげの老人が言った。
「みんな、仲間たちのおかげです。星々の司さまですね。」
「そうじゃ。わしが星々の司、ただ一つの動かぬ星、ガリウスじゃ。そして隣におるのがシルレイン。して、そちの名は何という?」
「ぼくの名はリマ、絵具師見習です。」
「なんと、リマとな。」
「やはり・・・。」
「なんじゃ、やはりと言うと、お前は知っておったのか?」
「いえ。でも、横顔にセレンの面影が見えませんか。」
「母を知っているのですか?」
「もちろんじゃ。もう少し近くへおいで。」
リマは歩み寄ると、ガリウスの前にひざまづいて、顔を上げた。ガリウスは身を乗り出してリマを見つめ、やがて深いため息をついた。
「絵具師見習いなるリマ、話してみよ、今までの事を。そして、なぜここに来たのかを。誰か椅子をもて。」
リマは椅子に腰かけると、ゆっくりと、初めから話し始めた。
それはほんの少し前の事なのに、なぜか遠い昔の事のように思えたのが不思議だった。
ガリウスは目を閉じ、シルレインはリマを見つめていた。
いつの間にか、まわりの星々もリマの話に聞き入っていた。
「そしてゴルの門を越え、永遠の回廊をのぼり、ここへたどり着いたのです。」
「わかった。では、そちはわしに、光のル−ンを聞きにきたわけじゃな。」
「はい。そしてここに、光の石があります。これをどうしたらいいのか、教えて頂きたいのです。」
「リマよ、よく聞くんじゃ。
闇のル−ンが人の手にわたってより、わしは世界が少しづつ歪んできてしまったような気がしておる。
やはりル−ンは、人の手に渡ってはならぬものなんじゃ。
確かにこのまま光のル−ンがなければ、この世界は闇につつまれ、色すらもない無の世界と変わってしまうかも知れん。
しかし、大きな力を打ち消すために、さらに大きな力を使ったとしたら、やはりこの世界は、消えて行く事になるじゃろう。
それならいっそ、何も使わん方がいい。
話はこれでおしまいにしよう。
残念だが、わしはおまえにル−ンを教えるつもりはない。
それはお前だけでなく、誰にしても同じだがの。
ゆっくりと休むがよい。お前さえよければ、ずっとここにいてもかまわんぞ。」
ガリウスはそう言って席を立った。
シルレインが引き止めようとするのもかまわずに、ガリウスは部屋を出ていってしまった。
「リマ、とにかく部屋へ戻って、待っていて下さい。」
シルレインは扉を開け、さっきの部屋まで案内すると、リマに微笑みかけて、扉を閉めた。
リマはがっかりするより、気が抜けてベットに腰を下ろした。
ここに来れば何とかなる、そう思っていた自分の愚かさが情けなかった。
リマはしばらくうつむいたまま、じっと自分の手を見つめていた。
仲間は誰も目を覚まさなかった。
「リマ、起きなさい。リマ。」
はっと頭を上げると、目の前にいたのはシルレインだった。
白く流れるようなひだのある服を着て、シルレインはリマの前にひざまづき、その細い手をリマの頬にあてた。
「大きくなりました。私があなたを見たのは、あなたがまだ、言葉も話せぬ小さな頃のこと。
立派になって、よくつらい旅に耐えてここへ来てくれましたね。」
リマはよくわからずに、シルレインの顔を見つめた。
「あなたはセレンの息子、そしてセレンは私の娘。ガリウスはセレンの父なのですよ。」
「じゃあ、ぼくのおばあさま・・・。」
「ええ、ええ。」
シルレインは、リマを抱き締めた。リマはその柔らかな腕の中へ、飛び込んでいった。
リマは初めてだった。自分と血のつながった者の暖かさ、柔らかな安心感を、リマは今、感じていた。
「リマ、こうしてはいられません。
ガリウスは、昨日、言っていました。バルカが動きだしたと。
それもあなたの家がある、タル・エッサ・ロムでです。
ガリウスは星々の司、皆の前では、言えなかった事もありましょう。
ガリウスの部屋は、私しか知りません。
いいですか、この部屋を出ると、廊下があるでしょう?そこを扉の方に七歩進み、左側の壁に向かって唱えなさい。
エルレストと。
それがあの方の本当の名。それで扉が開きます。」
「おばあさんは?」
「私がいたら、かえって何も言わないかも知れませんよ。あの方はそういう方です。」
「はい。」
リマの返事にシルレインはうなずくと、リマを扉へ押しやった。
リマはもう一度振り返ると、扉を開けて出ていった。
間違えないように、リマは二回数えなおした。
そして壁に向かって言った。
「エルレスト。」
目に見えない扉が開き、リマは小さな部屋に立っていた。
そこは大きな机が一つ置いてあるきりの、質素な部屋だった。
そして机にむかってガリウスが、何かの書物をひろげているところだった。
「シルレインが教えたんじゃな。」
ガリウスは、リマを見るとそう言った。
「おじいさん・・・。」
「おいで、リマ。よう大きくなった。」
ガリウスは立ち上がると両手を広げ、リマを抱きしめた。
「つらかったろう。本当によくやったぞ。」
知らないうちに、リマは泣いていた。
悲しいのではなかった。
暖かいものがあふれて、こらえ切れなくなったのだった。
リマは、声を出して泣いていた。
心が軽くなり、何かがとけてゆくようだった。
「思い切り泣くがいい。今まで泣けなかった分だけな。」
リマが落ち着いて、涙をぬぐう頃、ガリウスはリマに座るようにすすめた。
「父はどうした?竜騎士タラスは。」
「わからないんです。ぼくがまだ小さな頃、バルカの所へいったまま。だからぼく、会った事がないんです。」
「それではお前は、父の顔を知らんのか?」
「いいえ、会ったことはないけど、生き物の司さまの所で、絵を見ました。」
「それは、わしがやったものじゃ。そうか、今はどうしておるのか。」
「でも、お師匠さま、タルナスさまがやさしくしてくれました。
お師匠さまがいなくなるまで、淋しいと思った事なんかありませんでした。」
「お前の師匠はタルナスというのか。はて、どこかで聞いた名じゃ。何だったか、思いだせんが。」
「お師匠さまを、知ってるんですか。」
「ううむ、ちと思いだせんが、聞いたような名じゃ。」
「ぼくたち、これからどうなるんでしょう。」
「それは、わしにもわからん。ただこの世界が、危ういことに間違いはない。すべての者は、世界といっしょじゃ。」
「死ぬのはこわくありません。今まで一所懸命やってきたから。でも、お父さんや、お母さんに、一度くらいは会いたかった。」
「そうじゃろう。そうじゃろうの。」
ガリウスは、悲しげにうなずいた。
「リマ、お前は地上に戻るのか?」
「ええ。おじいさんや、おばあさんのいる、この宮殿に残りたい。
そして少しでも、いっしょに暮してみたい。でも、ぼくには待っている人たちがいるんです。
ぼくを信じてくれている人たちが。その人たちを、裏切るわけにはいきません。
おばあさんが言ってました。タル・エッサ・ロムに、何かが起っているって。教えて下さい。」
ガリウスは両方の手を合わせて、何かを口の中で唱えた。そして、てのひらを開くと、そこにはタル・エッサ・ロムがうつっていた。
「見てごらん。美しいブナの精の森は、ゴブリンどもでいっぱいじゃ。
そして、ごていねいにも、王の兵士が森のまわりを守っておる。あれが見えるか。」
「あっ、森の広場に何かが建ってる。あれは森の憩い亭のあった所だ。ボルじいさん、大丈夫だったかな。」
「そしてこれを見よ。」
景色が変わり、長い行列が街道を進んで行く所だった。
何本もの旗がたてられ、行列の真ん中には、黒いマントを着た者と王が、飾りたてた馬に乗り、守られながら進んでいた。
「あれは?」
「もちろん、王とバルカじゃ。
なぜ、バルカがあの森にこだわるのか、知っておるか?
お前たちが森の広場と呼んでいる所、あの石畳の場所こそ、バルダルの封印された場所なんじゃ。
間違いなく、バルカはバルダルの復活を狙っておるんじゃろう。次はこれじゃ。」
今度は洞穴の中だった。そこに、たくさんの生き物がひしめいていた。
しかしよく見ると、みんなどこかしら傷つき、ひどい者は、背中に矢が刺さったままだった。
そしてみんなの中心には、ボルオンが横たわっていた。
「ボルじいさんだ!」
「あのものを、知っておるのか?」
「ええ。」
リマはくいいるように、ガリウスのてのひらを見つめた。
「かわいそうじゃが、あの者は長くはもつまい。」
「行かなくちゃ。みんな、みんなやられちゃう。」
「これまでじゃ。多くを見すぎる事は、賢者にとってさえ危険だ。」
ガリウスは、てのひらを合わせた。もう一度開いた時には、もう何も見えなかった。
「リマ、もう寝るんじゃ。明日は旅立ちの日になろう。わしはお前を、ここにおいておきたいが、そうもいくまい。」
ガリウスは、リマを強く抱きしめると、おやすみ、と言った。
リマもおやすみなさいと言うと、扉に手をかけた。
その時、リマの後ろ姿にガリウスが言った。
「リマ、お前の名は、わしがつけた。
お前の本当の名は、リマ・オ−ム・マルクシュ、光の石を使う時、その時は、お前の本当の名を唱えよ。」
リマは振り返り、ガリウスを見つめた。
ガリウスもじっと、リマを見つめていた。
その眼ざしは暖かく、そして悲しげだった。
「ありがとう、ガリウスじいさん。」
また涙があふれてきて、リマは頭を深々と下げた。
涙が白い床に、次々と落ちていった。
「ねぼすけ、リマ−っ、起きろ−っ!」
あまりの騒がしさに、リマは飛び起きた。
目の前では モムとデモが、足をどたばた踏みならしてどなっていた。
「わかったよ、今起きるから。」
「まったくリマったら、起きないんだから。これじゃあ、わざわざここまで、眠りにきたようなもんだよ。」
「星々の司に、ル−ンを聞かなきゃいけないんだろ?」
モムとデモが口々に言うと、リマは笑った。
「もういいんだよ。でも、確かにいそがなくっちゃね。支度をしたら、出発しよう。」
「まだ、何も聞いてないんだよ、ほんとにいいの?」
「用事はすんだ。みんなが寝ている間にね。それより、今度はぼくが急がせる番だよ。
早く支度をして。準備ができたら、広間へ行って、お別れしなくちゃ。」
ティリオンは、リマの顔を見てうなずくと、
「いいでしょう。今のリマの顔を見たら、何も怖くないって顔をしてますよ。
行きましょう。私も今なら、いくらだって飛べますよ。」
「おらあ、寝過ぎで、頭がぼうっとしちまっただ。」
「大変だ、いつもだって、ぼうっとしてるのに。」
モムに言われて、ズナゴムは頭をかき、みんなは大きな声で笑った。
ズナゴムも、いっしょに笑った。
支度をすると、みんなは広間へ入っていった。そこは、昨日とまったく同じだった。
「おいとましなければ、ならなくなりました。」
「リマよ、行くか。」
「はい。」
「気をつけて行くのですよ。」
「ありがとうございます。」
「別れに何もしてやれんが、これを持って行くがよい。これがあれば、ペガサスに乗って帰れよう。稲妻は、これを避ける。」
「本当に、ありがとうございました。」
「それは、セレンの持ち物じゃった。」
星々の司、ガリウスは、小さくそう付け加えた。
リマは目をつぶって、心の中でささやいた。ありがとう、ガリウスじいさん、そしておばあさん。さようなら。
「右の扉を開けよ。」
ガリウスが言った。その目は、昨日の夜の眼ざしと同じに、暖かく、そして淋しげだった。
「大事な事を、言い忘れるところでした。ゴルが言っていました。
星々の司に伝えてくれと。ゴルの門は、もう二度と開かないそうです。」
「しかと聞いた。さらばじゃ。」
みんなは深々と頭を下げ、扉から出ていった。
「行きますよ、いいですか。」
背中から伝わってくるくらい、ティリオンは力にあふれていた。
リマは大きくうなずくと言った。
「行こう。」
ティリオンは翼を羽ばたき、足元を確かめると、一気に天空へ、飛び立って行ったのだった。