九. リマは二日の間、部屋から一歩も外へ出なかった。 食事もとらず、ベットにこしかけて、両親の絵を見つめていた。 二日目の夜のことだった。 ズナゴムはベットから手足をはみ出させて大いびきをかき、モムはベットからもはみ出されて、床の上に丸くなっていた。 リマは眠れないでいた。 明日の朝には旅立たねばならない。 すべての想いを振り切って、父と同じ道を歩まねばならない。 ぼくにできるだろうか。 つい何日か前まで、ぼくは父の事、母の事など知らずに、タル・エッサ・ロムのはずれの小さな家で、何事もなく暮していた。 困った事があれば、お師匠さまが何とかしてくれた。 一人で何かしたことなんて、あったんだろうか。 そんなぼくが今、大きな、それこそ生きてる者みんなにかかわるくらい大きなことを、なしとげなくちゃならない。 こんな時、お師匠さまがいてくれたら、どんなに心強いだろう。 それにお父さん。 お父さんはどうしたんだろう。 頭の中をいろいろな事がぐるぐる回り、不安と心細さが、リマをしめつけていった。 その時、声がした。 いや、リマは声を聞いたのではなく、声を感じたのだった。 リマがベットに起き上がると、声はもう一度、リマを呼んだ。 「リマよ、ゴライアスのもとへおいで。」 リマはそっとベットから降りると、皮のチョッキをひっかけて部屋を出ていった。 生き物の司のいる竜の広間には、ひとつだけ明りがともっていた。 リマがその入り口に立つと、今度は感じたのではなく、はっきりと声が聞こえた。 「リマ、眠れぬようじゃな。もっと近くへおいで。少し話でもしよう。」 竜はそのふところまでリマを招きよせると、その腕に寝かせ、優しく羽根で体をおおった。 竜の羽根はあたたかで、ごつごつしている腕も、その内側は意外にやわらかだった。 素直にその腕に頭をもたれると、リマは不思議な安心感が、体中に拡がってゆくのを感じた。 「眠れんのもむりはない。 もし、わしがお前だったら、やっぱり同じじゃろう。 いきなり今まで何も知らなかった父と母の話を聞き、その上、見知らぬ土地に旅立たねばならん。 助けはなく、タルナスもいない。 どうじゃ。 本当のことを言ってごらん。 旅をやめたくなったのではないか。」 「いいえ。それは思いません。 ただ、お師匠さまの家を出てから、ぼくは自分の小ささを感じました。 何もできないし、ここへ来るまでだって、あんまりうまくいかなかった。 だから心配なんです。 もしぼくが失敗してしまったら、大変な事になっちゃうんでしょう?」 「タルナスはお前に教えなかったかな。 すべての者には、それぞれ役目があると。 役目があるということは、役目を果たさなければならない、ということとは違う。 役目を知り、その役目に向かってがんばることが大切なんじゃ。 お前の父と母、そしてお前自身、みんなよかれと思ってしてきたことの上に、今がある。 うまくいかなかったとしても、それは仕方のないことじゃ。 またそこから考えればよい。 そうして動いてゆくのが、すべての生き物であり、世界であるのじゃ。」 「もしぼくが失敗して、この世が闇におおわれてしまっても、そこからやり直せるのですか。」 「もしそうなったら、やり直すことはできんじゃろう。 しかしがんばっても、それしかならん時には、それを受け入れるしかなかろう。 わしはこの大地ができた時に、大地の女神クシャルさまより、生き物の司であれ、とおおせつかった。 わしは造られた多くの生き物を見て、こういったんじゃ。 やつらは必ず道を誤りましょう。 女神は笑ってこうお答えになった。 過去を見るのは大地の役目、今を見るのが生き物の役目、そして、未来を見るのは神々の役目です、とな。 本当の叡智とは、いかに物事を知っておるかとか、いかにうまく物事をなしとげられるかではない。 知ってよい事、知ってはならぬ事をはっきりわかることを叡智と言うんじゃ。 未来は叡智の外にある。 心配するのではない。 タルナスの一番弟子であろうが。初めて星をつかんだ 者、竜騎士タラスの息子であろうが。 みなの想いにつつまれて、お前はいつもひとりではない。 父の名に、そして、タルナスの名に、恥じぬように進むんじゃ。 先の事は考えんでよい。 お前の力は、確かに小さい。 しかし、その心の光は、誰にも負けるものではないぞ。」 「わかりました。」 リマは城を出てから、初めてにっこりと笑った。 竜もそれを見ると、あの、ごうごうという笑い声をたてた。 「何だか安心したら眠くなっちゃった。もう部屋へ戻ります。」 「ここで眠ればよい。ぐっすりとな。」 「はい。」 そう答えた時には、もうリマのまぶたはとじかかっていた。 「リマあ−っ。」 「どこにいるだよお−っ。」 洞窟にひびきわたる声に目を覚ますと、目の前にモムとズナゴムが駆け込んできたところだった。 生き物の司は、リマが眠った時とまったく同じ姿勢で、目だけを動かしていた。 眠い目をこすりこすり、リマは起き上がった。 「よく眠れたか?」 「ええ、夢も見ないくらい。」 「ちょうど二人も来たところだ。旅立ちの準備にかかるがよい。 ところであの二人は、いっしょに連れてゆくのか。」 「わかりません。危険な旅です。できれば、ここへおいてくださるとうれしいのですが。」 「それはかまわんが、あのふたりが何と言うか。」 モムとズナゴムは、生き物の司の腕にいるリマに気がつくと、駆け寄ってきた。 「心配しちゃったよ。」 「ごめんね、モム。昨日の夜、ここで話をしているうちに、眠っちゃったみたいなんだ。」 モムは何かを尋ねようとしたが、リマのはればれとした顔を見て、ひとこと、よかった ね、と言って笑った。 ズナゴムもリマを見てうれしそうに言った。 「やあ、リマが笑ってるだ。何だかずっと、リマの笑顔を見ていなかったような気がするだよ。うれしいなあ。」 「ごめんね、二人とも。もう大丈夫。 ところで、もうぼくは旅立たなくちゃなんないんだ。 タル・エッサ・ロムは遠い。ぼくが帰ってくるまで、ここで待っていてほしいんだ。」 モムとズナゴムは、顔を見合わせた。 「これからの旅は、帰って来られないかも知れない旅なんだよ。ね、わかって。」 「そりゃあないよ、リマ。」 「おらはついてゆくだ。」 「でも、何が待ってるか、わからないんだよ。 今までだって、ぼくのためにずいぶん危険な目にあわせてしまった。もし、君たちに何かあったら・・・。」 「そんなことは関係ねえだ。危険なら、なおさらついていかなきゃなんねえ。」 「ズナゴムの言うとおりだよ。いくらぼくがやっかいものでも、おいていくなんてひどいや。」 リマは困った顔で、生き物の司を見た。 竜はまたごうごうと笑って、言った。 「こうなるとは思っておった。ほんとうに、死んでもよいという覚悟ができていれば、リマよ、連れていったらどうじゃ。」 リマはモムとズナゴムに向き直り、真剣な顔で言った。 「ふたりとも、ありがとう。じゃあ、いっしょに行ってくれるかい?」 「うわあい、行ってもいいんだね。よかった。おいていかれたら、どうしようかと思っちゃった。」 「さいしょ、おらはただ、おめえたちといれば、何かおもしろいことがあるんじゃねえかと思ってついてきただ。 でも今は違う。これは、おらの仕事なんだ。 リマはそれを教えてくれた。ありがたいこった。 自分の仕事がわかっちまえば、それでおっちんじまっても、しあわせもんだあ。」 「森トロ−ルのズナゴムよ、おまえは賢者よりも賢いかも知れん。 生きる、ということについてはな。リマ、モム、そしてズナゴム、これから道を話そう。よく聞くんじゃ。」 三人は竜の前に座り、一言も聞きもらすまいと耳をすました。 「まず最初に目指すのは、虹の城の廃墟、つまり失われた都じゃ。 それはここより二十ク−ン、南の岩山にある。そこでわしのおいた番人たちに会えるじゃろう。 ちと、へんくつな男たちじゃが、信用してよい。 双子の兄弟で、兄の名をギスク、弟の名をダスクという。 そこまでは特に気を付ける場所もないし、危険は少ないじゃろう。 ここで食料を補給し、ゆっくりやすむがいい。 それから先はただ、つねに東の空に輝くしるべの星、ガリウスを目指して進む以外にないんじゃ。 星々の宮殿は東の果て、名も知れぬ山々の中でもひときわ高くそびえ立つ、エッシャの柱と呼ばれる山の頂上にある。 ここへいたる道はただひとつ、そのふもとにある、ゴルの門をくぐるのみ。 そこにはわれらと同じくらい年老いた者がおるはずじゃ。 なかなか普通の者では通る事ができん。 じゃが、お前の父もそこを通り抜けた。お前にも、きっとできよう。 そしてその洞窟を抜けると、永遠の回廊と呼ばれる長い階段があり、星々の宮殿はその先じゃ。 よいか、リマ、しかと覚えたか。」 「はい。」 リマはあいまいにうなずきながら、次の言葉を待った。 「何やら、不安げな顔をしておるようじゃな。道順が覚えられんかったかな。」 「いえ、そうではないんですが、遠い道のりです。何か他に、てがかりになる事はないんでしょうか。」 大竜はまた、大きな口を開いて笑った。 「リマよ、道順はこれしかないんじゃ。あとはすべて、旅立つ者にゆだねられる。 が、お前たちをこのまま行かせるわけではない。後ろを見よ。」 リマたちが、はっとして振り向くと、そこには普通の馬の三倍はある、大きな白い馬が立っていた。 そしてその背には、大きな翼が生えていたのだった。 「わあ、ペガサスだ。」 モムが思わず駆け寄ると、ペガサスはひらりと一歩後ろへ飛んで、首をかしげた。 「やつをお前たちにつけてやろう。 やつの内には、よろいを付けた竜騎士公を二人のせ、ド−ラスにむかっていった、ペガサスの王、シュリスの血が流れておる。 数多いペガサスの中でも、森トロ−ルを乗せて飛べる者は、やつだけじゃろう。 その名は速き者ティリオンという。 しかし、ペガサスは乗せる者をみずから選ぶ。 わしの指図じゃ、共には行こうが、もしお前たちがティリオンの認めるところでなければ、けっして乗せてはもらえまい。」 「おらあ、歩いて行くだ。 こんなきれいな馬っこに、おらみてえな、こきたない森トロ−ルが、乗せてもらえるわけねえだよ。 おらのために、みんなが乗せてもらえなかったら、おらつれえ。 おらは走ってついて行くだよ。リマとモムだけ乗せて行ってくろ。」 「どうだな、ティリオンよ。」 ティリオンは、森トロ−ルの目をじっと見つめてから、その視線を生き物の司になげかけた。 そして驚いた事に、静かな声で話しだした。 「生き物の司よ、私は正直なところ、今回のお呼びには乗り気ではなかった。 私をあなたが名指した時に、それが森トロ−ルを乗せるかも知れぬ、という事であったから。 私たちは乗り物ではない。 この翼の力が、ただ早く行きたいところに着くためだけに使われるなら、 そしてしかも、その乗り手が、森トロ−ルであるなどといわれたら、私はたとえあなたの頼みでも、聞こうとは思わなかった。 しかし、生き物の司よ、私の愚かさをあやまります。 この者たちの姿は、確かにコボルト、少年、そして森トロ−ルだ。 しかしその心 は、竜騎士に勝とも劣らない。 特に森トロ−ル殿、あなたの心は本当の騎士の心だ。 あなたがたを乗せられる事を、私は誇りに思います。」 リマたちは顔を見合わせて、ペガサスを見、そして生き物の司を見た。 ズナゴムはほめられたことに照れるどころか、あんぐりと口を開いたままだった。 「よかったのう、リマ、モム、それにズナゴムよ。 こやつが誰かを乗せるなど、ここ何百年ぶりの事であろうの。 こやつは今でも、ペガサス一の勇者なんじゃ。それだけにわがままでの、ちと困っておった。」 生き物の司はそう言って笑い、今度はペガサスに向って言った。 「どうじゃ、ティリオンよ、最近おぬしは、がんこが過ぎたようじゃった。 今度のことで目が覚めんようなら、ひとこと言わねばならんと思っていたところよ。」 「生き物の司もいたずらがお好きだ。 でも、お礼を言います。久し振りに、本当の騎士を乗せて旅ができそうだ。 少し汚い騎士ではありますがね。」 ティリオンはズナゴムに片目をつぶって見せた。 リマとモム、生き物の司は笑いだし、ズナゴムは首まで真っ赤にして、くしゃくしゃの頭をかいた。 ひとしきり笑いがおさまると、ティリオンはリマに向き直った。 「私の名はティリオン、今日からあなたがたのお供をさせて頂きます。」 「ぼくはリマ、絵具師見習のリマです。ここにいるのがコボルトのモム、そして、森トロ−ルがズナゴムです。」 「よろしくね、ティリオンさん。」 モムが一刻も早く、その白い背中に乗って空を飛ぶという、 一大冒険に挑戦したくて、ティリオンの足のまわりをぐるぐる回りながら言った。 「おら、ちっとは、きれいにするようにしますだ。」 ズナゴムは、大きな体を折り曲げるようなお辞儀して言った。 「よしよし、これで準備は整った。 この前タラスとバルカを乗せていったのは、このティリオンの弟じゃ。 細かな道は聞いておろう。 ここから虹の城の廃墟までは、翼に頼るがいい。 しかしそこからは、できるだけ地上を行け。 空からでは、見ねばならんものも見えんし、まわりの事もわからんで、眠る時だけ地上に降りたとしたら、危険この上もない。 それに、どのみち、星々の宮殿は、空から入る事はできんのじゃ。 もし空から星々の宮殿に近づく者があれば、たちどころに雷に打たれてしまうじゃろう。 ゴルの門を捜せ。よいな、つらく長い旅にはなるであろうが、本当に良いと思ったことをなしとげるんじゃ。 行け、タラスの息子、絵具師見習のリマよ。 モム、ズナゴム、そしてティリオンよ、リマを助けてやってくれ。さらばじゃ。」 「さようなら、生き物の司さま。さあ、行こう。」 少年にコボルト、森トロ−ルにペガサスは、こうして朝日のさしこむレガンの洞窟を後にしたのだった。 ←BACK NEXT→