三. その日は朝から、暑いくらいの上天気だった。 リマは遠くへ絵具の材料を捜しに行く時に使う、ちょっと大きめのリュックサックをしょって、 十二才の誕生日に、タルナスからもらった一番大事な靴をはき、扉の前で腕を組んでいた。 「モ−ム!遅いぞ!何してるんだい?」 「わかった、わかった、今行くよ。」 階段をズダダダッと転がる音がして、リマの目の前に、パンパンにふくらんだかばんが落ちてきた。 「モ−ム!」 リマがもう一度呼ぶと、足下で声がした。 「いてててて。ここにいるじゃないか。よく見てよ。」 びっくりして声のするほうを見ると、大きなかばんにしがみつくようにして、モムが坐り込んでいた。 「どうしたんだい?」 「どうしたもこうしたもないよ。 旅に一番必要なものは、おいしいご飯だと思ってさ、 とびきりのお弁当を作ったら、こんなに大きくなっちゃって。」 「それ、ぜんぶお弁当かい?」 「へへへ、その通り。」 「誰が持つんだい?」 「・・・・・・」 「仕方のないやつだな。 しょうがない、ぼくが持ってあげるよ。 さあ、ほかに忘れ物はないかい? じゃあ出発だ。」 こうしてふたりは、長い旅への第一歩を踏み出したのだった。 「ねえリマ、最初はどこへ行くの?」 「うん、とりあえず森の広場まで行って、ボルじいさんに会うよ。 それから少しがんばって、ギリッシュの村まで行ったら、今日はおしまいだ。 ギリッシュから先のことは、ぼくにもわからない。」 「ボルじいさんのところだって。 またおいしいぶどうのジュ−スを、ごちそうしてくれるかもしれないな。 しぼったばかりの、あのジュ−ス!考えただけでよだれが出ちゃう。」 「まったくモムは、くいしんぼうなんだから。 今度の旅は、お師匠さまを捜すための旅なんだからね。」 そう言ったものの、すてきな天気の中を歩いていると、 すぐにでもタルナスに会えるような気がして、リマもなんだか楽しい気分になっていた。 「そうだな、もしかしたらお師匠さまは、ボルじいさんのところにいるのかもしれないぞ。」 「そうだよ、リマ。さあ急ごう。」 森の広場は、タル・エッサ・ロムの南、タルナスの家から六ク−ン、 歩いてゆけば半日の距離にある、石畳の広場であった。 そし て、その広場の真ん中にある「森の憩い亭」の主人こそ、ノ−ムのボルオン・トレス・ランコス、 つまり、ボルじいさんだったのである。 この「森の憩い亭」は森の者に限らず、すべての者に開かれており、 誰もが気ままに集まったり、旅の疲れを癒したりする場所であった。 かよいなれた道を通り、太い樹々の間を抜けると、いきなり目の前がひらけた。 作られた目的すら、忘れられてしまったほど古い石畳と、その中央に立つ丸太作りの家。 森の広場であった。 「リマ、行こう。」 走り出そうとするモムを、リマは前をさえぎって止めた。 「ちょっと待って。」 「どうしたのさあ、早く行こうよ。」 「おかしいと思わないかい?」 「おかしいって?」 「よく見てごらん。 窓は板でふさがれてるし、あの自慢の赤い屋根に穴があいてる。 それに何より、煙突を見てごらん。 煙突から煙の上っていない森の憩い亭なんて、見た事あるかい?」 「ほんとうだ。 それにねえ、リマ、あの壁にいっぱい刺さっているの、矢じゃない?」 「何かあったんだ。モム、気をつけろ。」 ふたりはそっと入り口の扉まで近ずいていった。 「リマ、何かで切りつけられたような跡もあるよ。」 モムが不安そうに、小声でささやいた。 「それより入り口を見て。 扉に描いてあるのは、間違いない、封印のル−ンだ。 そして色は戒めの水色。 あれはものを封じ込めたり、開かなくしたりする時に使うんだ。 中に誰がいるんだろう。 ボルじいさん、無事だといいけど。」 「扉は開けられるの?」 「大丈夫。 あのル−ンなら知ってる。 少しだけ開けて中の様子を見てみよう。 でも気を付けて。 いつでも逃げられるようにね。」 そう言うと、リマは扉に顔を近ずけて、つぶやくようにル−ンを唱えた。 「ラルク・ラ−ン」 「誰だ!」 バタンと音がして扉が開き、太い腕がにゅうっと伸びて、リマをつかんだ。 「リ、リマ!」 モムが駆けよると、太い腕はモムもつかんで引きずり込んだ。 家の中はありとあらゆる生き物で、ぎっしりとうまっていた。 フクロウにリス、すんなりとしたエルフの乙女や、がんこそうな黒ひげドワ−フ、 流れるような金色のたてがみを持つライオン、 そしてしゃがみこんでも、天井に頭のつかえそうな森トロ−ルまでいる。 みんな薄暗いランプの光の中にうずくまり、リマたちを見つめていた。 そして、上半身はたくましい男、下半身は美しい駿馬の姿をした者が、リマたちの前に立ちはだかっていた。 「セント−ルだ!」 思わず叫んだモムを、じろりとにらんでから、そのセント−ルは口を開いた。 「おまえたちは何者だ?」 驚きと怖さを振り切って、リマははっきりと答えた。 「ぼくはリマ、絵具師タルナスの一番弟子、絵具師見習のリマだ。」 「なに、リマじゃと?あのタルナスじじいのとこのリマか?」 部屋の奥から、聞き慣れた声がした。 リマがはっとして声のするほうを見ると、美しいエルフの乙女が、 起き上がろうとする白いひげのノ−ムを、必死に寝かそうとしていた。 「ええい、かまわん、リマよ、こっちに来い、このおんぼろの身体め、まったく言う事を聞きよらん。 リマ、タルナスじじいは無事か?」 「ボルじいさん!」 リマとモムは、かき分けるようにして、ベットへ走り寄った。 小人用の小さなベットに、年老いたノ−ムは横たわっていた。 白いシ−ツには点々と赤い染みが飛び散り、額に巻いた包帯からも血がにじみだしていた。 「そのけがはどうしたの。大丈夫?」 「赤き風よ、もうよい、このものなら安心じゃ。」 ボルオンはセント−ルにそう声をかけると、リマを見て話し始めた。 「おとといの晩の事じゃった。 黒いマントの人間に率いられたゴブリン鬼どもが、何の前ぶれもなく、ここへやって来たのじゃ。 そして聞くんじゃ。 タルナスはどこにいる、とな。 わしは知らんと言った。 知っていても教えようとは思わんが、本当に知らなかったんじゃ。 するとやつらは、わしを表に引きずり出して、家中捜し始めた。 何も見つかるわけがない。 本当に何もない事がわかると、黒マントはもう一度わしに聞いた。 しゃべらねば、ゴブリン鬼どものえさにすると言ってな。 その時じゃった。森のみんなが、この老いぼれを助けようと、飛び出してくれたんじゃ。 わしは放り出され、戦いが始まった。ひどい戦じゃった。 何とか追っ払ったものの、やつらが逃げる時に放った火で、森の東は焼け野原じゃ。 多くの者も死んだ。 わしも踏まれたり、けとばされたりでこのざまじゃ。 それからわしは、ここから動けんようになってしもうた。 皆は、わしのそばから離れんといって、ここに残ってくれてるがの、わしも、もうすぐおしまいじゃろう。」 ボルオンは一気にそこまで話すと、激しくせき込んだ。 「ボルじいさん!」 「大丈夫じゃ。 そんな情けない顔をするでない。 だれもが一度は、必ずおしまいになる時があるもんじゃ。 ところで、タルナスは無事か?」 「それが、よくわからないんです。」 「分からないとは、どういう事じゃ? 弟子のおまえに何も言わず、消えてしまうようなやつではあるまい。」 「伝言がありました。でも意味がよくわからないんです。」 リマはゴブリンたちが来た夜の事から、タルナスの伝言の事まで、そして、ここに来るまでの事をつぶさに話した。 ボルオンは目を閉じて、時々苦しそうに眉を寄せながら、それを黙って聞いていた。 そして話が終ると、ゆっくりと目を開き、リマに向き直って言った。 「昔やつに、こんな話を聞いた事がある。 そう、あれはもう何十年前になるか知らん。 やつが青い花水晶を捜しに来ていた時のことじゃ。 寒い日での、ほかに客もなく、 わしとやつはそこの暖炉の前で、いろいろな事をぽつりぽつりと話しておった。 やつはこう言いよったんじゃ。 わしは運命を待っておる。 わしは運命とともにある、とな。 そしてその運命とは何かと聞くと、それはわしにも分から ん、と言って笑っておった。 いまやつには、その運命がまわってきたのかもしれん。 いや、弟子などとらんと言っていたやつが、 おまえという弟子をとった時から、それは始まっていたんじゃろうの。 誰にも分からん事じゃが、何かが始まっている事だけは、この老いぼれにも分かる。 リマよ、こんな言い伝えを知っておるか? すべては、この古き木の力なる ブナの精の森から始まりすべては、この聖なる封印に終る。 大いなる闇が開かれた後、世界は真の光を求める。 かの賢者メネラスの予言よ。 タルナスが消えた事も、ゴブリンどもが現われた事も、この予言が成就する、まえぶれなのかもしれんのう。 リマ、生き物の司にあったら、聞いてくれんか。 メネラスの予言は希望なのか、それともこのボルじいは、ちいっとばかり長生きしすぎたのかをな。」 そこまで話すと、ボルオンは大きなため息をついて、疲れきったように目を閉じた。 「ボルじいさん、大丈夫?」 「少し疲れたわい。しゃべりすぎたかの。」 リマは、ボルオンのシ−ツを胸までかける と、そっとそばを離れた。 「さっきはすまなかったな。 ゴブリンどもが様子を見に来たのかと思ったのだ。 本当にすまないことをした。 森でこんなに誰かれとなく、疑わねばならなくなるとは、夢にも思わなかったが。」 赤い風と呼ばれたセント−ルはそう言って、淋しそうにうつむいた。 「いいんです。みんな、ボルじいさんが心配でしたことなんですから。」 「ありがとう。そう言ってくれると、私としても気が休まる。 そのお礼にと言っては何だが、ひとつだけ教えよう。 森に住んでいない者にとって、ボルオンさまはただ、森の憩い亭の主人でしかない。 しかしすべての森には、必ず長がいる。 ボルオンさまはこの森の長なのだ。 森に何か起こった時、森に住む者みんなを招集し、森の会議を開けるのは、あの方しかいない。 ゴブリンどもが、この森に入って来た事にすら気ずかず、 あのような傷をおわせたということを、森のすべての者が恥ずかしく思っている。 だからこそ、みんなこうしてこの家にこもり、再びゴブリンが襲ってきた時に備えているのだ。」 「ボルじいさんが森の長・・・。 森の長の事は、お師匠さまから聞いた事があります。 でも、ボルじいさんがこの森の長だったなんて。」 「ボルじいさんって、そんなに偉い人だったんだ。」 モムが感心したように言うと、赤い風は首を振りながら、また、言った。 「コボルトよ、偉い、という事がどういうことか、私には分からない。 しかし、それが大事な人という事であれば、 ボルオンさまはこの森に住むみんなにとって、かけがえのない大事な人なのだ。」 「ふうん、よくわからないけど、何だかすごいことみたい。 でもリマ、もうお昼も大分すぎちゃったよ。 ギリッシュまで行くのなら、もうそろそろ出発しなくちゃ、ね。」 「うん、そうだね。 じゃあ、赤い風さん、ぼくたち、もう行きます。 ボルじいさんをお大事に。」 「ありがとう。おまえたちも気を付けてな。 ギリッシュまで、危険なところはないといえ、 それは今までの事、これからはどこで何が起きるとも知れないから。 もしタルナスがここへ来たら、おまえたちの事は伝えておくよ。」 「お願いします。じゃあ、さようなら。」 「さようなら。」 リマがそっと扉を押して、外に出ようとすると、ボルオンの弱々しい声がした。 「リマよ、行くのか?気を付けるんじゃぞ。 辛い旅になるかも知れんが、タルナスの一番弟子なら乗り越えられるじゃろう。 さらばじゃ。」 「はい。」 出来るだけ元気な声で、そう答えると、 目を合わせたセント−ルに大きくうなずいてから、リマとモムは森の憩い亭を後にしたのだった。 外は今までの暗い話が嘘のように、暖かい日ざしと柔らかな葉ずれの音で満ちあふれていた。
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