ニ. リマは両親の顔を知らなかった。 彼は物心ついた頃からずっとここにいた。 こことは絵具師タルナスの家、 領主オレミアスの館から二八ク−ン、 最寄りの村であるギリッシュからですら、十六ク−ンのところにある、石作りの小さな二階建の家である。 (一ク−ン は、約三km、一ノルが三十cmで,一リルはその六十分の一。) このあたりは昔からタル・エッサ・ロム、すなわちブナの精の森と呼ばれ、 タルナスの家はその西の外れ、頂上に雪を頂くゴ−ラル山脈を見あげるところにあった。 タルナスに言わせるとここは「絵具の材料が豊富で、何より絵具を調合するのに適している場所」ということだった。 絵具師はこの時代、ほんのわずかになっていた。 そのなかでもタルナスは、もっとも腕がよく、そしてもっとも年老いた絵具師であった。 特にタルナスの作る「ペガサスの尾の白」は、「タルナスの白」として有名で、 銀の城を改装した時には、わざわざ王の勅使がここを訪ねたくらいであった。 リマは、そのタルナスを父として、そして母として育てられたのである。 タルナスの家には、タルナスとリマ、ほかの家と同様に、ひとりのコボルト小人がいた。 普通と違うのは、そのコボルトがめずらしく若い事と、 ほとんど気が向いた時にし か、掃除や炊事をしなかったことくらいである。 (若いといっても、コボルトの基準から言ってという事で、実際の年令は86才になっていたのだが。) そのおかげで、リマは一通りの料理を覚える事になってしまった。 そしてタルナスも、それまでまったく経験した事のない「掃除」という大事業に、取り組まねばならなくなったのである。 しかしタルナスは「何もしないことも、またいいじゃろう。」そう言って、コボルトにモムという名をつけ、可愛がっていた。 モムとはコボルト語で「しない」という意味である。 リマが十二才になった春、タルナスは初めてリマを弟子として認めた。 「リマや、この春でおまえも十二才になる。 十二というのは、特別な意味をもった歳じゃ。 なぜ特別なのかは今にわかるじゃろう。 それは「世界」ということと結びついておってな、まあ、もっと多くのことを知れば、自然にわかってくることじゃろうて。 それはよいといして、わしはおまえに、わしの知るすべてを教えようと思う。 しかしおまえが、ほんとうに絵具師になりたいかどうか、ここでもう一度尋ねたい。 否と答えてもかまわん。正直に答えるのだ。大事なことじゃぞ。どうだ、リマ?」 「小さい頃から、ずっとお師匠さまと一緒にいて、いつもぼくは思ってました。 お師匠さまのようになりたいって。今でも思っています。お願いします。 ぼくを弟子にして下さい。」 「よしよしこれできまりじゃ。 これからおまえはタルナスの一番弟子、絵具師見習いのリマじゃ。」 タルナスはこう言うと、本当に楽しそうに、大きな声で笑った。 「お師匠さま、ぼく、前から不思議に思っていたことがあるんです。」 「なんじゃ、言ってごらん。」 「お師匠さまの作った絵具って、半分は売ってしまうけど、もう半分はずっとしまったままでしょ? ぼくにはしまってある絵具のほうが、すてきな色に思えるんです。 今ここにあるたくさんの色をすべて使って、一つの町を彩ったなら、世界中で一番きれいな町ができると思う。 それをどうして、ほこりをかぶったまましまっておくんですか。 あれじゃ色たちだって、きっと悲しがっているんじゃないかな。」 「ほうほう、なかなか大切な事に気がついたのう。 よし、これが絵具師見習いなるリマに教える最初の話じゃ。 まずそれには、絵具師というものから話さねばならん。長い話になりそうじゃ。 おまえもそこらに、腰を下ろすがよい。」 そう言ってタルナスは、木の椅子にゆったりと腰をかけた。 そして目を半分閉じると、静かな口調で話し始めた。 「絵具師というのは、もちろん絵具を作る者たちのことを言う。 しかし、絵具とは何じゃ? ただ、物たちを美しく飾るためだけのものか? いいや、そこにはもっともっと深い意味がある。 ではそれは何か。 力じゃ。 正しく整えられた色にはな、ある力が秘められておるのじゃ。 だが、そのままではどんなに力のある色も、ただの色に過ぎん。 その本当の名を知ることによって、初めてその力が使えるようになる。 そしてその本当の名はル−ン、色文字によってあらわされる。 しかし、これを使うのは絵具師ではない。 色文字を知る 者、ル−ンの使い手、それは魔術師じゃ。 今では魔術師も少なくなった。 昔はひと村に一人づつ、絵具師と魔術師がおったものよ。 王宮には絵具師団と魔術師団があっての、そりゃあ、それぞれの英知と技を競っておった。 今わかっているル−ンと、その絵具の調合は、ほとんどその時代に見つけられたものなのじゃ。 もうずっと昔のことになってしもうた。」 タルナスはそこまで話すと、深いため息をついた。 リマはふと、タルナスの歳のことを考えた。 今までずっと一緒にいたのに、タルナスが何歳なのか、考えたこともなかった。 リマの記憶にあるタルナスは、今も昔も少しも変わっていなかった。 リマは聞いた。 「お師匠さまは今、何歳なの?」 タルナスは、はっと我に返ったように、 「わしか?わしはのう、う−む、もう歳を数えることも、忘れてしまったわい。 まあ。確かなのは、ひどい年寄りだということじゃて。」 そう答えて、タルナスは少しさみしそうに笑い、また、話し始めた。 「これでなぜわしのお客に、絵描きや建築士が少なく、 長いロ−ブをまとった、奇妙な年寄りが多いかわかったじゃろう。 やつらは、残り少ない魔術師たちよ。 そしてなぜ絵具を売らないか、それもわかったじゃろう。 絵具は売りものではないんじゃ。特に力の強い色はのう。 色は中途半端な力を持った者では扱えん。 災いを招くだけじゃからの。 リマよ、お前もこのことだけは、心に刻み込んでおくがよいぞ。」 リマはうなずくと、また聞いた。 「ねえ、お師匠さま、もう一つ聞いてもいい?」 「おやおや、ずいぶんとせわしない弟子じゃのう。 だがいいじゃろう。弟子になった最初の日じゃ。 もう少しだけ答えてやろう。質問は何じゃな?」 「昔はそんなにたくさんいた絵具師や魔術師が、どうして今は、こんなに少なくなってしまったの?」 「リマや、おまえは賢い子じゃ。 よく聞い て、きちんと考えられる。 確かに不思議に思えるじゃろうの、そのことは。 それは愚かな一人の人間のせいなのじゃ。 色を作るのは絵具師、色を使うのは魔術 師、それはさっき言ったの? しかし時とし て、みずから色を作り、そして色を使う者が現われることがある。 世間ではそうした者 を、賢者と呼んだ。 宮廷の絵具師団と魔術師団の最後の長は一人であった。 つまり、賢者が両方の長を兼ねておったのじゃ。 賢者が長を兼ねたのは、初代の長、かの偉大なる賢者メネラス以来のことであった。 賢者メネラスとは光のル−ンを見いだし、 竜騎士たちを率いて、闇のル−ンの使い手ド−ラスを滅ぼし、古王朝の基をつくられたお人じゃ。 最後の長はこの賢者メネラスに比され、団員や宮廷の期待は、限りなく大きかった。 その者は一つの新しいル−ンと色を、見つけようとしておった。 そのル−ンとは、神々の六つのル−ンの一つ、運命のル−ンじゃ。 彼は三十年にわたってそれを求め続け、とうとう見つけてしまった。 そして王の前で、それを披露すると言ったのじゃ。 愚かなことよのう。 ル−ンとは、そして色とは、おおぜいの前で見せびらかすものではないんじゃ。 しかし約束の日になり、彼は王の前にひざまづいて、おおげさな挨拶をすると、 おもむろに懐から、普通より少し大きめのル−ンカ−ドをとりだした。 そうそう、ル−ンカ−ドのことを、話してやらねばならんの。 魔法をかけるには絵具が必要だ、ということは話したな。 しかし、いつも絵具の壷を抱えて歩いているわけにもいかん。 そこで魔術師たちは、正しい絵具でル−ンを描き、それをカ−ドにして持ち歩いているんじゃ。 それがル−ンカ−ドよ。 さて、どこまで話したかな。 そうそう、ル−ンカ−ドをとりだしたところまでじゃったな。 最後の長は、それを目の前のテ−ブルにそっと置くと、両手を高く上げて、その色の本当の名を唱えた。 するとカ−ドから、それまで誰も見たことのないような色が噴き出し、 それは百ノルもある広間の天井に達したかと思うと、そこにいたすべての者たちに降り注いだ。 みなはその時、この世のたとえようもない喜びと悲しみを知り、 世界と自分が一体になったように感じたという。 が、それも一瞬のこと、王宮、王、騎士たち、 そして、全国からそれを見ようと集まっていた魔術師と絵具師たち、 すべてはガラスのように透きとおったかとおもうと、粉々に砕け散ってしまった。 生き残ったのは、最後の長一人じゃった。 しかし彼は、神々から死よりも大きな災いを受け、いずこともなく去って行った。 この時より、王の血筋であるオレトス大公ミルドが王位を継ぎ、 王城の地を彼の領地に移して、今にいたっておる。 これが新王朝の始まりじゃ。 そしてその元の都、運命のル−ンによって破壊された城のある地が、今で言う、失われた都なのじゃ。 こうしてほとんどの魔術師と絵具師は、都とともに失われてしまった。 これがすべてたった一人の愚か者のためだというんじゃから、ひどいことよのう。 今ではほんのわずかな者たちが、細々と暮しているに過ぎん。 ル−ンも絵具も、その秘術の大半は失われてしまった。 悲しい事じゃ。」 タルナスはそう言うとうつむいたまま、もう何も言おうとはしなかった。 リマはこの日、覚え切れないくらいたくさんの事を知った。 そしてその日から、本格的な絵具師の勉強が始まったのである。 絵具の材料になる様々な植物や石たちについて、調合の仕方、 時間の計り方など、その内容は広く、そして膨大なものであった。 しかしタルナスはよい教師であったし、リマも物覚えのよい熱心な生徒であった。 リマは日に日に熟練し、知識を覚え、二年もたつ頃には、時々訪れる魔術師たちを驚かすほどになっていた。 魔術師たちも、そしてもちろんタルナスも、リマの将来に大きな期待をかけるようになっていたのである。 そんな秋の一日であった。タルナスがいなくなったのは。 窓から細い針金細工のような三日月が見える。 リマはベットに横たわったまま、眠れずにいた。 「お師匠さまの伝言は、どういう意味なんだろう。 そこに行けば、何かわかるんだろうか。 それにモムが見たって言うゴブリン鬼たち。 そんなやつらは、今まで見た事もない。 何で急に襲ってきたりしたんだろう。 わからないな。 でも、何かかが起こっている事だけは間違いなさそうだぞ。 お師匠さまも、無事だといいけど。 まあ、これ以上考えても、ぼくにはわかりそうにないな。 とにかくもう寝て、明日は朝早く出発しよう。」 リマはそう決めると、シ−ツをかき寄せて目をとじた。 あわい月の光が、そんなリマの寝顔を照らしていた。
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